『ONE PIECE』が連載開始から四半世紀を超え、最終章へと突入してなお、ファンの間で定期的に議論の的となってきた「ある有名なセリフ」が存在する。それは、物語序盤の傑作エピソードである「アラバスタ編」(単行本19巻・第169話)で登場した、王国護衛隊副官ペルの発言である。

長年「設定の矛盾(後付け)ではないか?」「ペルの勘違いだったのか?」と様々な憶測を呼んできたこの謎について、最新の単行本SBS(115巻)にて、作者である尾田栄一郎氏の口からついに公式な回答が示された。本記事では、第169話の該当シーンを振り返りつつ、ペルの発言が持つ「作中世界(インユニバース)における意味」と、「作者(メタ)視点からの深い理由」について徹底的に解説する。
| 名前 | ペル |
|---|---|
| 異名 | ハヤブサのペル |
| 所属・役職 | アラバスタ王国 護衛隊副官 |
| 悪魔の実 | トリトリの実 モデル“隼(ファルコン)”(動物系) |
| 年齢 | 35歳(初登場時は33歳) |
| 身長 | 189cm |
| 誕生日 | 8月23日 |
| 特記事項 |
首都アルバーナを吹き飛ばす威力の巨大時限爆弾を抱えて上空へ飛び立ち、至近距離で爆発の直撃を受けながらも奇跡の生還を果たした。 この衝撃的な生存劇は、読者の間に「ONE PIECEの作中(現在進行形の時間軸)ではキャラクターは基本的に死なない」という強いイメージ・不文律を定着させた最大の要因の一つとして、今なお語り継がれている。 |
謎の始まり:第169話、ペルの誇り高き宣言
アラバスタ王国の最強の戦士と謳われるペルは、「トリトリの実 モデル“隼(ファルコン)”」の能力者である。バロックワークスの刺客であるミス・オールサンデー(ニコ・ロビン)と対峙した第169話において、ペルは自身の能力を解放し、巨大な隼の姿へと変身しながら、自信に満ちた表情で次のように宣言した。
「世界に5種しか確認されぬ『飛行能力』をご賞味あれ…」
連載当時の読者に対して、この発言は極めて強烈なインパクトを与えた。悪魔の実は「海の嫌われ者になる」という大きな代償を伴うが、その中でも「空を自由に飛べる能力」は世界でたった5種類しか存在しないという設定は、ペルというキャラクターの底知れぬ強さと、アラバスタ王国が持つ歴史の重みを際立たせるための素晴らしい演出として機能していた。
物語の進行と膨らみ続けた「読者の疑問」
しかし、麦わらの一味がグランドラインの前半の海を越え、過酷な「新世界」へと足を踏み入れるにつれて、読者の中である大きな疑問が膨らんでいった。それは「空を飛べるキャラクターは、明らかに5種類以上いるのではないか?」という指摘である。
実際、物語が進むにつれて多様な能力者が登場した。
- 同系統の動物系(ゾオン):マルコ(不死鳥)、キング(プテラノドン)、カブやビアンなどのトンタッタ族の虫の能力者たち。
- 超人系(パラミシア):シキ(フワフワの実)、ドフラミンゴ(イトイトの実での空中移動)、バッファロー(グルグルの実)。
- 自然系(ロギア):スモーカー(モクモクの実)、エネル(ゴロゴロの実)、黄猿(ピカピカの実)。
- 非能力者:サンジの「スカイウォーク」やCP9の「月歩(ゲッポウ)」などの体術。
これらを合わせると、優に十数名以上のキャラクターが空を飛んだり、滞空したりしている。そのため、インターネット上の考察界隈では「ペルの言っていた『5種』とは厳密には何を指していたのか?」「初期設定からのブレではないか?」という議論が絶えなかった。SBS 115巻に寄せられた「今となっては飛べる能力が多すぎて完全に混乱している」という読者の声は、全世界のファンが長年抱いていた率直な疑問を代弁したものであった。
作中世界における公式見解:「ペルの知識の限界とリアルな世界観」
この長年の疑問に対し、尾田氏はSBSにて明確な回答を示した。まず、作中の設定(インユニバース)としての公式な答えは、「あれは単に、ペルが耳にしていた情報の限界(ペルの知る限り)であった」というものである。
我々は現実世界でインターネットやSNSを使い、世界中の情報を瞬時に検索できる。しかし『ONE PIECE』の世界は、海王類が巣食い、異常気象が荒れ狂う広大な海によって島々が分断されている。情報伝達は「世界経済新聞」や「電伝虫」といった限定的な手段に依存しており、情報の非対称性が極めて高い世界である。
尾田氏が「あの世界で、世界中のあらゆる情報を完全に把握している人などどうやって存在するのか?(例えばトンタッタ族の何人が飛べるかを研究している人などいないように)」と笑い交じりに語っている通りである。グランドライン前半の、さらに一つの王国(アラバスタ)の戦士に過ぎないペルが、鎖国国家「ワノ国」の幻獣種や、未確認の種族の能力までを含めた世界のすべての悪魔の実を完全に網羅していることなど、物理的に不可能なのである。
つまり、あの第169話のセリフは「客観的な世界の真実(神の視点)」を語っていたのではなく、あくまで「ペルという一人の人間が認識していた世界における事実」に過ぎなかった。これは設定の矛盾ではなく、むしろ「情報網が限られた広大な世界」という『ONE PIECE』のリアルな世界観を裏付けるものだと言えるだろう。
作者としての真の意図:尾田栄一郎の「自戒」と葛藤
さらに興味深いのは、尾田氏があのセリフに込めていた「作者としての(メタ的な)裏の意味」を明かしたことである。実は第169話のペルのセリフは、他ならぬ尾田氏自身に向けた「自戒の言葉」であった。
「飛行能力をいくらでも思いつくことはできるが、使いすぎてはいけない!」
少年マンガのバトルや冒険の構成上、「空を飛べるキャラクター」は作者にとって非常に便利である。地形の障害を無視でき、ダイナミックな空中戦を描くことができ、移動の描写も簡単になる。しかし、それを安易に乱発してしまえば、作品の根幹の面白さが揺らいでしまう危険性があった。
能力のインフレを防ぎ、地に足の着いた冒険を描き続けるために、あえてペルに「5種しか確認されぬ」と言わせることで、作者自身に対して「飛行能力の安易な乱発を抑える」という強固な制限(ルール)の楔を打っていたのである。
世界観の死守:なぜ「飛行機」を作らないのか?「海賊マンガ」のロマン
では、なぜ尾田氏はそこまでして「空を飛ぶこと」に厳しい制限を設けようとしたのか。その最大の理由は、本作の根幹となるテーマが「海賊マンガ」だからである。
SBSの回答によれば、作中の科学技術のレベル(Dr.ベガパンクやフランキーの技術力など)を考えれば、「なぜ彼らは飛行機を作らないのか?」と思えるようなテクノロジーはすでに世界に存在している。しかし、物語の世界観は「飛行機という航空兵器・移動手段が一般化する一歩手前」で意図的に止められている。
海賊マンガの最大のロマンは、「海」と「帆船」にある。過酷な海流(レッドラインやカームベルトなど)を船で乗り越え、未知の島へ上陸することに冒険の醍醐味がある。もし世界中の空を人々が飛行機や能力で手軽に飛び回るような世界になってしまえば、「船で海を冒険する」という作品の存在意義が根底から覆ってしまう。空からラフテルへ直行できてしまえば、海賊たちのドラマは生まれないのである。
「海賊」という大テーマに忠実であり続けるために、誰もが空を飛べるような世界には絶対にしたくなかった。第169話のペルの発言の裏には、そんな「海と帆船のロマンを守り抜く」という尾田栄一郎というクリエイターの強い決意と美学が込められていたのである。
結び:これからも「飛行は稀で特別なもの」であり続ける
SBS 115巻の結びとして、尾田氏は「これからも、空を飛ぶことは稀(レア)で例外的なことであるというスタンスを維持していく!」と力強く宣言している。
20年以上の時を経て明かされた第169話のペルの発言の真意。それは、単なる「設定のブレの言い訳」などでは決してなかった。「情報伝達に限界があるリアルな世界観の構築」という作中での説得力と同時に、作者自身が「海賊マンガとしてのアイデンティティ」を守るために引いた絶対的な防衛線だったのである。
連載初期の一見何気ない強敵のセリフが、実は『ONE PIECE』という作品の根幹を支える壮大な世界観設計と、作者の漫画道そのものに直結していたことを示す、非常に奥深く感動的なエピソードだと言えるだろう。
飛行能力まとめ エルバフ編最新版
| 飛行能力まとめ | |||
|---|---|---|---|
| 系統 | キャラクター名 | 悪魔の実の名前 | 飛行・滞空の仕組み |
| 動物系(ゾオン) | ペル | トリトリの実 モデル“隼(ファルコン)” | 隼に変身し、自らの翼で飛行 |
| マルコ | トリトリの実 モデル“不死鳥(フェニックス)” | 不死鳥の翼を展開して飛行 | |
| キング(アルベル) | リュウリュウの実 モデル“プテラノドン” | プテラノドンの翼で飛行 | |
| カイドウ | ウオウオの実 モデル“青龍” | 焔雲を生み出し、それを掴みながら飛行 | |
| カブ | ムシムシの実 モデル“カブトムシ” | カブトムシの羽で飛行 | |
| ビアン | ムシムシの実 モデル“スズメバチ” | スズメバチの羽で飛行 | |
| ストロンガー | ウマウマの実 モデル“ペガサス” | ペガサスの翼で飛行 | |
| モモの助 | 人造悪魔の実(ベガパンク製) | カイドウと同様に焔雲を利用して飛行 | |
| ピエール | ウマウマの実 | 自身が鳥であるため、能力でペガサスのような姿になり飛行 | |
| ロキ | リュウリュウの実 モデル“ニーズホッグ” | 巨大な竜(ニーズホッグ)の姿へと変化し、その翼で飛行 | |
| ネロナ・イム聖 | アクマの実 | 異形の姿への変化、またはそれに付随する未知の特性による飛行・浮遊 | |
| 超人系(パラミシア) | シキ | フワフワの実 | 自身や触れた非生物の重力をコントロールして浮遊・飛行 |
| バッファロー | グルグルの実 | 身体の一部をプロペラのように高速回転させて飛行 | |
| ドンキホーテ・ドフラミンゴ | イトイトの実 | 雲に糸を掛け、振り子のように移動する「空道(そらみち)」 | |
| ニコ・ロビン | ハナハナの実 | 無数の腕を背中に生やした「幻の翼」によって短時間の滑空 | |
| イッショウ(藤虎) | ズシズシの実 | 重力を操って岩盤などを宙に浮かせ、その上に乗って移動 | |
| ベビー5 | ブキブキの実 | ミサイルなどの兵器に変形し、空中を飛来 | |
| 自然系(ロギア) | スモーカー | モクモクの実 | 下半身を煙に変えて推進・浮遊 |
| シーザー・クラウン | ガスガスの実 | 身体をガス化させて宙に浮き、自在に移動 | |
| エネル | ゴロゴロの実 | 雷に変化して空中を高速移動 | |
| サー・クロコダイル | スナスナの実 | 砂嵐と同化して空中を舞うように移動 | |
| ボルサリーノ(黄猿) | ピカピカの実 | 光となって空中に滞空・高速移動 | |
| その他・特殊 | ラフィット | 名称不明 | 背中に白い翼を出して飛行 |
| カラス | ススススの実 | 身体を無数の煤の烏(カラス)に変化させて空を飛ぶ | |
ペル以外の「知識の限界」を示す作中の事例:情報が分断された世界のリアル
『ONE PIECE』という作品の根幹を支える極めて重要な世界観設定の一つに、「情報の非対称性(局所性)」がある。この世界は、世界を真っ二つに分断する巨大な「赤い土の大陸(レッドライン)」と、海王類が巣食い風すら吹かない「凪の帯(カームベルト)」によって、四つの海が物理的に完全に切り離されている。さらに物語の主戦場である「偉大なる航路(グランドライン)」に足を踏み入れれば、島ごとに磁場が異なり、異常気象が常態化しており、隣の島へ行くことすら命がけの冒険となる。私たちが生きる現代の現実世界のように、インターネットやSNSを通じて「誰もが普遍的な真実に瞬時にアクセスできる情報網」は、この海には存在しない。
世界経済新聞というメディアや電伝虫といった通信手段はあるものの、それらで得られる情報は極めて限定的であり、世界政府による情報操作も日常茶飯事である。つまり、作中に登場するキャラクターたちが語る「常識」や「事実」は、決して神の視点(客観的な世界の真実)ではなく、あくまでの彼らが生まれ育ち、自らの足と耳で集められた範囲内での「知識の限界」に過ぎないのだ。第169話でのペルの「世界に5種しか確認されぬ飛行能力」という発言の真意を理解するためには、過去の作中において、他のキャラクターたちがいかに自らの「知識の限界」にとらわれていたかを振り返ることが非常に有効である。
「東の海」という狭い世界で最強を信じたアーロン
最も象徴的な事例が、東の海(イーストブルー)編でルフィたちの前に立ちはだかった魚人海賊団船長・アーロンの姿である。彼は「悪魔の能力者は海に嫌われる(泳げなくなる)」という絶対的な真理を突いて海戦に持ち込み、自らの種族が持つ生来の腕力と水中での機動力を根拠に、魚人族こそが万物の霊長であり「最強」であると信じて疑わなかった。
しかし、偉大なる航路の後半の海、ましてや「新世界」の過酷さを知る読者からすれば、アーロンの思想はあまりにも井の中の蛙である。「覇気」の概念も、海を割るような怪物たちの存在も知らない、最弱の海と呼ばれる東の海という「狭い情報空間」の中での常識で生きていたからこそ、彼は自らが最強だという過信に陥ったのだ。当時のアーロン本人は、決して嘘をついていたわけでも強がっていたわけでもなく、自らの知識が世界のすべてだと本気で信じていたのである。
常識を盾に「空島」を否定したベラミー
また、ジャヤ島モックタウンでの「ハイエナのベラミー」の言動も、作中における情報と常識がいかに局所的なものであるかを如実に示している。空島の存在を信じるルフィやモンブラン・クリケットに対し、ベラミーは「空に島があるなどという幻想は終わったのだ」「黄金郷などない」と嘲笑し、彼らを徹底的に蹂躙した。
ベラミーにとっての「現実」とは、自らが航海してきたグランドライン前半の海の常識がすべてであり、「上突き(ノックアップストリーム)」や「空に浮かぶ島」といった不可解な自然現象や伝説は、非科学的で論理に欠けるおとぎ話でしかなかった。しかし、実際に空島は存在した。ベラミーの限界もまた、自らの目で見て、耳で聞いた範囲の狭い常識を「世界の真実」だと誤認していた点にある。
圧倒的な「個」の力を知らなかった首領・クリーク
さらに言えば、偉大なる航路に挑み、たった数日で王下七武海(当時)のジュラキュール・ミホークに巨大な艦隊を壊滅させられた首領・クリークも同様である。彼は東の海最大のアタマ数を誇る艦隊と最新兵器を持っていたことで、自身が「世界最強」であると本気で錯覚していた。彼もまた、新世界の圧倒的な個の力と異常なスケールを知る術を持たなかったゆえの、悲劇の体現者であると言える。
結論:ペルの発言は「世界観のリアルさ」の裏返し
これらの明確な事例を踏まえて再びアラバスタ編を俯瞰すれば、王国護衛隊副官であるペルの発言が決して「後付けの矛盾(設定のブレ)」ではないことが論理的に理解できるだろう。ペルはアラバスタという砂漠の王国において最強と謳われる優れた戦士であり、王国の中枢を担う知識人でもあった。しかし、鎖国国家ワノ国に眠る幻獣種の存在や、新世界の奥深くに隠された未確認の種族、さらには世界政府の最深部に隠匿された秘密の悪魔の実の能力までを完全に網羅する術は、彼には当然なかったのである。
アーロンが東の海で己の種族を最強だと信じ、ベラミーが常識を盾に空島を否定したように、ペルもまた「自らの知り得る情報網の限界」のなかで、自らが持つ能力への最大限の誇りを持ってあの台詞を口にしたに過ぎない。尾田栄一郎氏は物語の序盤から一貫して、「すべての事実を知る読者」と「限られた情報の中で生きるキャラクター」の認識のズレを意図的に描き出している。この広大で、残酷なまでに海によって分断された『ONE PIECE』の世界観に強烈な説得力を持たせるための、緻密でリアルな舞台装置の一つが、ペルのあの名台詞であったのだ。
海と船のロマンを守り抜く決意:不便さが生み出す冒険のドラマ
115巻のSBSにおいて尾田栄一郎氏が語った「飛行機をあえて出さない」「飛行能力は稀であるべきだというスタンスを維持する」という力強い宣言は、単なる設定の整合性を保つための言い訳では決してない。それは、作者の『ONE PIECE』という作品の根幹に対する深い愛と、クリエイターとして絶対に譲れない強固な美学の表れである。
作中の世界には、Dr.ベガパンクの常軌を逸した科学力を筆頭に、フランキーのサイボーグ技術、シーザー・クラウンの兵器開発、あるいはジェルマ66の科学部隊など、驚異的なテクノロジーがすでに存在している。これらの技術水準を客観的に見れば、空を安全かつ自由に飛ぶための航空機を量産することは、決して不可能ではないはずだ。しかし、尾田氏はそれを意図的に封印し続けている。なぜなら、空を飛ぶ技術を一般化させてしまえば、この作品が最も大切に描き続けてきた「海賊マンガとしてのロマン」が根本から崩壊してしまうからである。
「不便な海」を突き進むからこそ生まれる熱いドラマ
「海賊」という存在の最大の魅力とロマンは、どこまでも広がる圧倒的で恐ろしい「海」と、それに抗いながら進むちっぽけな「帆船」という対比の中にこそ宿る。予測不能な海流、突然荒れ狂う異常気象、巨大な海王類が息を潜める暗黒の海中、そして世界の壁として立ちはだかる赤い土の大陸(レッドライン)。これらの過酷な大自然の脅威を、仲間たちと力を合わせ、船の帆を張り、舵を切り、命がけで乗り越えていく泥臭い過程にこそ、冒険の真の醍醐味がある。
もしルフィたちが、空を飛ぶ便利な乗り物で島から島へと一直線に移動できてしまったら、あるいは最終地点ラフテルを目指して安全な空路を選択できてしまったら、私たちがこれまで胸を熱くしてきたあの数々の感動的なドラマは、決して生まれることはなかっただろう。
船は単なる移動手段ではなく「仲間」である
たとえば、リヴァース・マウンテンの激流を命がけで駆け上がり、偉大なる航路へ突入した時のあの途方もない高揚感は、海を渡る帆船でなければ絶対に味わえなかった。空島へ向かうため、海流に乗って空へと打ち上げられる「突き上げる海流(ノックアップストリーム)」に死を覚悟して飛び込んだあの狂気と興奮も、飛行機という便利な手段があれば「単なる高度上昇」という退屈な事務作業に成り下がってしまう。
そして何より、ウォーターセブンからエニエス・ロビーへと至る、ゴーイング・メリー号との痛ましくも美しい別れの物語を思い出してほしい。あの涙なしには語れないエピソードは、「海を越える船」が単なる移動手段ではなく、共に死線を潜り抜けてきた「かけがえのない仲間」であったからこそ、世界中の読者の心を強く打ったのである。空を飛んであらゆる地形の障害をショートカットできる世界観では、船の損傷がもたらすあの絶望感も、炎に包まれながら沈みゆくメリー号への深い感謝も、決して描くことはできなかった。ルフィたちが不便な海を「船」で進むからこそ、そこに血の通ったドラマが生まれるのだ。
「不便さ」がもたらすカタルシスと作家の覚悟
さらに、シャボンディ諸島から魚人島へと向かう際の、深海への決死のダイブも同様である。何万メートルという海の底へ、圧倒的な水圧や巨大な海獣の恐怖に怯えながら、コーティングされた船でゆっくりと沈んでいく息苦しさと閉塞感。その恐怖の過程があったからこそ、暗闇の海底に広がる美しく輝く魚人島に辿り着いた時のカタルシスは最大化されたのである。海賊マンガにおいて、「不便であること」「危険であること」「移動に困難が伴うこと」は、決して排除すべきマイナス要素ではない。むしろ、不便な海をあえて「船」という強い制約の中で進むからこそ、キャラクターたちの絆は深まり、未知の島へ上陸した際の感動が爆発するのだ。
尾田氏があえて物語の序盤でペルに「5種しか確認されぬ飛行能力」と語らせ、自らに対して「飛行能力の乱発を防ぐ」という厳しい楔を打った背景には、この「海と船のドラマを絶対に守り抜く」という強烈な覚悟が透けて見える。どれほど物語が進行し、強大な悪魔の実の能力者や未来の超技術が登場しようとも、ルフィたちの足元には常に広大な「海」が広がっており、彼らを運ぶのはサウザンド・サニー号という「船」でなければならない。読者は第115巻のSBSの回答を通じて、細かい設定の整合性を遥かに超えた、尾田栄一郎という稀代の作家が25年以上ブレることなく胸に抱き続けている「冒険への深い敬意」と「海賊マンガの魂」を、はっきりと感じ取ることができるのである。